子供の頃、テレビでどこかの探検隊がアマゾン川のピラニアの危険性について説明している画像を見たことがある。ピラニアのいるところにブタだかウシだかを投げ込むと、水面が沸騰したようにピラニアが湧いて出て、あっという間に残ったのは骨ばかり…という映像である。
不肖鴉、それを思い出していた。
そもそもの発端は一通のメールである。
「ねえねえ鴉兄い、木曜日にラテンディスコってとこ連れてってよう。金曜日休みだから。」
こんなメールが従姉妹から届いたのは、月曜の事だった。少し前に遊びに来た際、ラテンディスコがいかにエキサイティングで面白いか、というハナシを面白おかしくバーの止まり木で酒のつまみに語ってやったのを憶えていたようなのである。
この従姉妹、ちょっと健やかに育ちすぎたところもあるが、顔立ちはAKBのこじはるにちょっと似ている上に抜けるように肌が白い。性格もいい上に21歳とお年頃でもある。はっきり言って自慢の従姉妹である。
…それがラテンディスコに行くと言うのである。ご想像いただきたいのだが、これはウシを連れてアマゾン川にダイブする様な物ではないのだろうか。ペルーに鴨鍋の風習があるのかないのか知らないが、これは鴨にネギを背負わせて送り出すようなものではないか。つまり、危険極まりないのではないだろうか。
そんな心配が文面を見た瞬間、速攻で首をもたげた。ラテン男子の女好きは世界有数なのである。心配にならないほうがおかしい。
…でもまあ、俺が横に張り付いてれば大丈夫か。
いいよ、連れてってやる。
「わーい!やったあ。」
でも一応覚悟はしとけよ。物凄い勢いでピラニア…男が群がってくるから。
「うん。だいじょうぶかなあ。」
ま、俺がエスコートするから大丈夫だけどさ。楽しみにしときな。
そういうわけで。
近所のバーで電圧を上げてから乗り込む事にした。何分、従姉妹に取ってみればこれがラテンデビューであり、最初の印象というものはある意味一生ついて回るのである。法事や新年会で顔を合わせるたびに
「アレはひどかったわ…」
などと言われるのは、従兄弟の兄ちゃんとして避けたいではないか。それならまだいいが、伯父に手をついて平謝りするような事になったら目も当てられない。
祈るような気持ちでドアを開ける。保護者面談の後で家に帰るときの物凄く嫌な緊張感。アレに近い。
が、店の中は割と閑散としている。早めの時間だった事もあってか、まだ客があまり入っていないようである。そして女の子のグループが二つ、先客としている。言い方は悪いが、餓え切った狼の牙から子羊を守るにはなかなかいい鉄の壁があるということである。
まあ、ちょっと安心かな、と思ったのが甘かった。
普段、私を見ても軽く手を上げて挨拶する程度の顔見知りが、物凄く丁寧に挨拶をしに来る。しかもいつもはスペイン語なのに、今日に限ってよそ行きの頑張った日本語である。
「…で、この子は?」
やっぱりそれか。羊を食べる前にペーターに挨拶しただけのようである。でも、それもどうなんだろう。いきなりウシに食らいつくピラニアのような蛮行も困るが、だからってピラニアに「ねえダンナ、このウシ食べるけどいい?」とか言われても困るではないか。
そういうわけで先手必勝。
ああ、これは俺の従姉妹。こういう場所は初めてだからちょっと驚いてる。スペイン語は出来ない。踊るのも出来ない。…まあ、今日は初めてだからな。その辺宜しく頼む。
そういう事を先に申し述べておく。幸いこの店では不肖鴉、それなりに顔なのでこう言っておけばそうそう手も出してこないし、ちゃんとその辺は彼らも分かっているのである。
食べられる前に機銃掃射。ある程度間合いを取ってやらないと、押しの強さでは世界有数のラティーノスである。危険が危ない。
まあ、慣れてきたら軽く踊ればいいと思うが、今のところベシート(頬をくっつけあうラテン挨拶)にも目を白黒させている上に、目の前でカップルが腰をくっつけてかなりセクシーなダンスをしているのにぽかんと口を開けている状況である。まだ刺激が強すぎるであろう。
例えばアナタが宇宙人に拉致されて「あ、緊張しなくていいよ。その辺で楽にしててねー。…あ、お茶飲む?」とか言われても、そうそうすぐにリラックスは出来ないであろう。お構いなく、とか言う程度が精々であろうと思う。
それでなくても店内の男ほぼ全員が挨拶しに来るのである。どんだけ日本人女性好きなんですかあなた方。
「…やっぱすごいね。」
大丈夫か?
「うん。全然大丈夫。」
それでもまあ導入はなんとか巧く行ったようである。…それにしてもお前ら。俺がピンで来た時とは挨拶の丁寧さが雲泥の差じゃねえか。見てて気分いいくらいだわ。
やがてある程度客が入り始め、不肖鴉の友人もやってきた。まあ、こいつは大丈夫だろう、彼女もいるし。というわけで紹介し、一緒に飲み始める。
どうだ?
「最初はびびってたけど、超楽しい!」
よしよし。順調である。
そういうわけで、カウンターの中の知り合いセニョーラに声をかけて先ずは不肖鴉が目の前で踊ってみることにした。エキシビジョンというには下手だが、まあ基本のステップくらいは分かってもらえるだろう。
「鴉兄、うまいじゃん!」
そうでもないけど、まあこのくらいできれば最初は十分だろうよ。
言うと、ちょっと興味が出てきたようで真似している。
おい、ダンス教えてもらってみる?
「うん…。でもホントわかんないんだけど。」
俺も隣で一緒に踊ってやるから。
そういうわけでもう待ちに待っていたという感じの友人に出動を要請する。…お前のそんな笑顔初めてみたんですけど。忘れてくれるなよ、お前には彼女がいるんだぜ。最悪チクってやるからな。
不肖鴉、子供どころか嫁も彼女もいないが、気分はまるでお父さんである。良かった、俺独身で。娘なんかいたら心配で心配で夜も寝ないで昼寝してしまうかもしれない。まあでも、従姉妹でも心配なものは心配なわけで。
多分従姉妹に取ってはあっという間の4時間だったと思うが、いつの間にかペンギンのコロニーのように集まってきていた男性陣が酔っ払い始めたのを汐に、帰る事にした。
じゃ、帰るわ。
「この子も?」
当たり前だ!
かえると分かった瞬間から、まだ早いだの俺が送っていくからもっと飲めだのという騒ぎが始まったので、手を引いてさっさと出ることにした。油断も隙もありゃしねえ。
で、反省会を兼ねた早朝のファミレス。
で、どうだったかね。
「すごかった!ホントにすごい勢いでナンパされたし。」
まあ、一般的な日本人女性が一生にされるだろうナンパの回数はあっさり超えただろう。
「でも超楽しかった!ツイッターで報告したら、トモダチも行きたいってさ。」
…そうか。
「また連れてってね」
………うん……
気に入ってもらえたのはいいが、ひょっとして俺はとんでもないフラグを従姉妹の人生におったててしまったのではないか…。そんなことを考えながらすっかり明るくなった窓外の町を眺めていた。
…ちなみに泥のように眠って目が醒めると、物凄い数の着信履歴がついていた。用件はどれも同じだった。
「あの超可愛い子、次はいつ来るんだ」
お後がよろしい…のかどうか、それは分からない。